ハービー・ハンコック
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Herbie Hancock ハービー・ハンコック
ハービー・ハンコック 1940年4月12日シカゴ生まれ。ピアノ・レッスンを始めたのは7歳の時。11歳の時、シカゴ交響楽団と共に、初ステージに立つ。グルネル大学卒業の60年、コールマン・ホーキンスらと共演することによりプロとしてのジャズ・ピアニストのキャリアが始まる。
62年に初リーダー作『テイキン・オフ』をブルーノートからリリース。収録曲の『ウオーターメロン・マン』が大ヒット。マイルス・デイビス・クインテットには63年から68年まで在籍し数々の名演を残す一方、65年には傑作『処女航海』を発表。72年にLAに移り住んだあと73年オークランド・ファンク・サーキットのポール・ジャクソンらと革新的なグループ「ヘッド・ハンターズ」を結成。同年発表したブラック・ファンク・アルバム『ヘッド・ハンターズ』が爆発的にヒット。70年代後半はウェイン・ショーター、トニー・ウイリアムス、フレディ・ハバードらとVSOPを結成し世界中をツアーし、絶賛される。83年にはマテリアルのビル・ラズウェルがプロデュースしたヒップ・ホップ・アルバム『フューチャー・ショック』のシングル・カット『ロック・イット』が世界中で大ブレイク。自身初のグラミー「ベストR&Bインストゥルメンタルパフォーマンス」賞を獲得する。ついで85年には映画『ラウンド・ミッド・ナイト』の音楽監督としてアカデミー賞を受賞。
90年に入り、94年にサイバー・ファンク・アルバム『ディス・イズ・ダ・ドラム』を発表。95年には、『ザ・ニュー・スタンダード』を発表し、新時代のスタンダードを提示する。98年にはジョージ・ガーシュインをテーマにした『ガーシュイン・ワールド』を発表し、そのアルバムはグラミー賞を受賞する。
『フューチャー2 フューチャー』(2001)では再びビル・ラズウェルをプロデューサーに、カール・クレイグをはじめクラブミュージックシーンの注目株と共演。2002年マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンの誕生75周年をトリビュートしたライブアルバム『ディレクション・イン・ミュージック』を発表し、グラミー賞をノミネート及び日本ジャズディスク大賞を受賞する。
デビューから40年以上たった現在でも、常に時代の最先端を行く音楽を創造し続けている非凡なピアニスト、アレンジャー、プロデューサーとして世界中の様々なアーティストからリスぺクトされている存在だ。
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Youssou N'Dour ユッスー・ンドール
ユッスー・ンドール 1959年ダカール生まれ。
素晴らしい音域とバランス感覚を兼ね備えた歌手であるとともに、非凡な音楽的才能を活かして、作曲家、バンドリーダー、プロデューサーとしても活躍している。セネガルのあらゆる音楽を自分の作品に取り込んだ上で、ロックやポップなどのジャンルにとらわれずにアレンジして見せる。イギリスの音楽誌『フォーク・ルーツ』は2000年の幕開けに際し、ンドゥールを「今世紀最大のアフリカ人アーティスト」と呼んだ。20年以上のレコーディングと、自ら率いるバンド「スーパー・エトワール」との海外ツアーを通じて、彼はムバラの存在を世界中に知らしめた。
アメリカのロック評論家、『ヴィレッジ・ヴォイス』誌のロバート・クリスゴーは、ンドゥールについて「世界で最も偉大なポップス・ヴォーカリスト」であり、彼のバンドは「世界最高のバンド」だと評した。さらに「理論上誰も考えなかった世界のポップスの融合に向けて、着実に歩み続けるひとりのアフリカ人」だと言う。「イン・ユア・アイズ」(1985年のアルバム「So」収録曲)でンドゥールとデュエットし、ロックの歴史に真に偉大な瞬間を残したピーター・ガブリエルは、ンドゥールを「今生きている最高の歌手のひとり」と絶賛した。
1979年には「スーパー・エトワール」のリーダーとしての地位を確立した。その後、フランスのセネガル人タクシー運転手組合やイギリスの小さなファン団体の支持を受けて、彼はまたたく間に世界進出を果たした。だがダカールで活動を始めた当初は、不遇の時代を過ごした。10代のころは市内のダンスクラブに入れてもらえず、外の駐車場で海賊ライブをするしかなかった。やがてそのたぐいまれな歌声から、天才少年という評判を勝ちとり、国営ラジオのアマチュアによるライブ番組に何度か出演するようになった。また若干12歳のころから、生まれ育った旧市街の近隣で宗教的行事で歌っていた。ンドゥールは、敬虔な自動車修理工エリメーン・ンドゥールとその妻、ンディ・ソクナ・ボーの最初の子どもとして生まれた。母親はグリオの家系で、彼女自身も旧市街近隣の儀式で歌うことがあった。
現在、ンドゥールとスーパー・エトワールは、最も有名なアフリカのライブバンドとして世界的に知られ、セネガルの伝統に根ざした刺激的な音楽を、『ロサンジェルス・タイムズ』紙の表現を借りれば「喜ばしい正確さ」で演奏し続けている。 批評家に絶賛されたメジャー・レーベルからのアルバム、「セット(Set)」 (ヴァージン1990)、「アイズ・オープン(Eyes Open)」(ソニー・ミュージック1992)、「ザ・ガイド(The Guide)」(ソニー・ミュージック1994)、「ジョコ(Joko [The Link])」(ノンサッチ、2000)だけでなく、並行してリリースされた10枚以上のセネガル国内盤も含め、このグループの音楽的軌跡の内面性を評価して、『ガーディアン』紙(ロンドン)は、彼らの音楽を「アフリカ音楽とヨーロッパ音楽の出会いとしては、これまでで最高の例。健全で、緊迫感にあふれ、思慮深い」と称した。
待望のアルバム「ナッシングス・イン・ヴェイン(Nothing’s in Vain [Coono du r__r])」は、ンドゥールのノンサッチ・レーベル移籍第1弾だ。このレーベルからは、以前に「ジョコ(Joko [The Link])」がライセンス契約によりリリースされている。「ナッシングス・イン・ヴェイン」は、あらゆる国境を越えた現代ポップスという枠組の中で、母国セネガルの音楽的伝統を開花させるという、彼がこれまで追ってきた音楽的野望を明確に踏襲したものとなっている。
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Speech スピーチ
スピーチ 本名Todd Thomas。
13歳でDJを始め、当初はDJピーチと呼ばれる。大学時代から地元の新聞にコラムを執筆、黒人問題などを扱う。このころからすでに、アレステッド・デヴェロップメント(Arrested Development)を想起させる活動をしていた。1992年、アレステッド・デヴェロップメントを率い、デビュー・アルバム「テネシー(遠い記憶)」を発表。3曲連続でトップ10ヒットを記録し、全世界で700万枚を超す特大ヒットとなる。92年度グラミー賞で、ラップ・グループとしては史上初めて〈ベスト・ニュー・アーティスト賞〉を獲得。同時に〈ベスト・ラップ・パフォーマンス賞〉も獲得し、ラップ、ヒップ・ホップのファン層を一般にまで広げた最も偉大なグループとして、絶賛をあびる。
92年末には、スパイク・リー監督の映画「マルコムX」に、テーマ曲「レヴォリューション」を提供。93年5月「MTVアンプラグド」をラップ・グループとして初めて行い、94年5月、2ndアルバム「ズィンガラマドゥーニ」をリリース。人気絶頂のこの年、11月には初来日公演も実現。
マーヴィン・ゲイ・トリビュート盤では、「ホワッツ・ゴーイング・オン」をリメイクした「ライク・マーヴィン・ゲイ・セッド」を発表。96年1月、同曲をフィーチャーした初のソロ・アルバム「speech」をリリースし、幅広い音楽性、ヴォーカルを強調した作風で見事にソロ・デビューを飾る。96年4月には自身のバンドを率いた初のソロ・ツアーで来日。その後も「フープラ」(98年)、「スピリチュアル・ピープル」(2000年)を発表。さらに2001年にはアレステッド・デヴェロップメントを再結成し、「ザ・ヒーローズ・オブ・ザ・ハーヴェスト」をリリース。今や定番となったサマーソニックの第1回ステージで、ドラゴン・アッシュ、ジョン・スペンサー、ジェームス・ブラウンらとともに華々しく日本復活ライヴを行い、ベスト・パフォーマンスを満場のファンに見せつけた。
02年、アトランタに住むスピーチらしく、南部をテーマにした「ダウン・サウス・プロダクションズ」をリリース。同年4月、東京・名古屋・大阪・広島でジャパン・ツアーを行う。6月には、あのプリンスのバースデイ・パーティでもライヴ(DJ)を行った。今年2月、5枚目のソロ・アルバム「peechy」をリリース。
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Joshua Redman ジョシュア・レッドマン
ジョシュア・レッドマン 1969年カリフォルニア州バークレー生まれ。父親はサックス・プレーヤーのデューイ・レッドマン。10歳でテナーを手にし、独学でマスター。頭脳明細な彼はハーヴァード大学を主席で卒業。
その後イエール大学の法律修士課程に進むが、モンク・コンペティションでの優勝を契機に本格的にプロ・ミュージシャンの道を歩むことを決意する。 92年、ワーナー・ブラザーズと契約。以来、米ダウンビート誌の批評家賞(94年)、ローリング・ストーン誌批評家賞、ジャズ・タイムス誌読者賞(93年)など数々の栄誉に輝き、ここ日本に於いてもスイング・ジャーナル誌ニュー・スター賞の初代受賞者となるなど、着実に実力と人気を集めてきた。
一方でその上品なものごしとルックスは映画/ファッション界からも注目を集め、これまでにロバート・アルトマン監督の『カンザス・シティ』に出演したり、ファッション・ブランドDKNYのエンドースメントを受けるなど、音楽以外の分野でもバラエティに富んだ話題を提供してきた。 これまでに発表したリーダー・アルバムは9枚。
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Kazumi Watanabe 渡辺香津美
渡辺香津美

1953年東京渋谷生まれ。17才でデビュー・アルバム『インフィニット』をリリースし、天才ギタリストの出現と騒がれる。渡辺貞夫、鈴木勲など国内のトップグループに在籍し、79年、坂本龍一、矢野顕子、村上秀一等気鋭のミュ-ジシャン達と伝説のオールスターバンド「キリンバンド」を結成。その斬新なサウンドは当時のミュージックシーンに旋風を巻き起こした。更に同年秋に敢行された「イエロー・マジック・オーケストラ」のワールドツアーへの参加、「Kazumi」の名は一躍世界的なものとなった。 80年代に入ってマイク・マイニエリのプロデュースによる大ヒットアルバム「トチカ」(若き日のマーカス・ミラーやオマー・ハキム、マイケル・ブレッカー等も参加)を皮切りに、「Mobo」「Spice Of Life」とフュージョン史上の伝説を次々と築き上げ、自己のグループで全米ツアー、アジアツアーも行う他、ジャコ・パストリアスのワード・オブ・マウス日本ツアーに参加するなど、世界のトップミュージシャンとの共演を重ねていった。

90年代に入ってからは、『おやつ』(94年)を皮切りにアコースティック・プロジェクトに力を入れ始め、ジャズ・クラシックの境界線を乗り越えて国内外で活躍。91年バルセロナ、ローマ、95年ブルガリア、リスボン、97年のパリなどヨーロッパ各地でも絶賛を浴びる。また96年発表の『エスプリ』から99年3月NYボトムラインでライブ収録された『ワン・フォー・オール』に至る90年代の最先端サウンドを確立。又『禁じられた遊び』をはじめとするDVD作品もリリース。さらに21世紀を記念したアルバム『ビヨンド・ザ・インフィニット』では、2001年1月《ギター生活30周年集大成》公演で初演されたアコースティックからエレクトリック、民族楽器までのギターの可能性を極めた《ギター組曲》をリリース。インプロヴァイザーとしての側面を活かした作・編曲で独自の世界を展開し、各方面から絶賛される。

またアルバムやステージ以外の活動では、96年より洗足学園大ジャズコース客員教授に就任。2002年にはNHK教育テレビ「趣味悠々」で《アコースティックギター入門》の教授を務め、大人マーケットに静かなアコースティック・ギター・ブームを創出。丸ビルでのオープニングから1年にわたって開催される「Marunouchi Music Evolution」他、プロデュース・イベントも多数手がけている。91年、南里文雄賞、94年ジャズディスク大賞などを受賞。スイングジャーナル・ジャズメン人気投票においても25年間連続ポールウィナーを獲得。

今年2003年2月、キャリアにおける初の完全ソロ・パフォーマンス・アルバム『ギター・ルネッサンス』をリリース。東京王子ホールでのコンサートとレコーディング・プロジェクトをライフワークとして展開中。そして5月下旬にNYで久々のエレクトリック・ギター・トリオをレコーディングし、同ユニットで8月の「東京JAZZ」に出演予定。

ホームページアドレス http://www.hilltop.co.jp/kazumi
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Jack Dejohnette ジャック・ディジョネット
ジャック・ディジョネット 1942年8月9日、イリノイ州シカゴ生まれ。4歳から10年間クラシック・ピアノのレッスンを受ける。ハイスクール時代にドラムを始め、以後はメインの楽器として演奏するようになった。地元でR&Bからフリー・ジャズまでさまざまな音楽を体験した後、66年にニューヨークへ渡る。
66年にキース・ジャレットを含むチャールス・ロイド・クァルテットに参加し、一躍注目を集めた。68年、初リーダー作『ザ・ディジョネット・コンプレックス』を録音。69年、トニー・ウィリアムスに代わって、マイルス・デイヴィスのグループに抜擢され、『ビッチェズ・ブリュー』などの歴史的傑作の録音やライヴで活躍。マイルスの元を離れた72年、ジャズ・ロックを志向した自己のバンド"コンポスト"を結成。この頃から、ドイツのECMレーベルのハウス・ドラマーとして、さまざまなセッションに参加。75年に新バンド"ダイレクションズ"を結成。78年には、メンバー交代に伴い、バンド名も"ニュー・ダイレクションズ"へと改めた。さらに79年には"スペシャル・エディション"を結成。80年代ジャズの中核的なグループとして活動。一方、83年に、キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコックと通称"スタンダーズ・トリオ"を結成。結成20周年を向かえた今年(2003年)に至るまで、現代ピアノ・トリオの最高峰として君臨しつづけている。
その他にも、パット・メセニーとの"パラレル・リアリティーズ"やハービー・ハンコックの"ニュー・スタンダード・オール・スターズ"、ジョン・アバークロンビー〜デイヴ・ホランドとの"ゲイトウェイ・トリオ"など、多彩かつ華々しい活動歴を持つ。疑いようのない、現代最高のジャズ・ドラマー。
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Christian McBride クリスチャン・マクブライド
クリスチャン・マクブライド 90年代彗星の如くジャズ界に頭角を現し、軽く100枚を越えるアルバムに参加。まさに「ファースト・コール・ミュージシャン」と呼ぶにふさわしい現代ジャズ・ベース界を代表する若き俊才。9才でベースを始め、プロ活動を始めるとすぐに注目を浴び、チック・コリア等ジャズ界の大物たちと共演。自らのアルバム作品にはダイアン・リーブスやハービー・ハンコック等豪華ゲストを迎え、今後ますます活躍が期待されるベーシストである。
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Norio Maeda 前田 憲男
前田 憲男 1934年大阪出身。
幼少のころより父親から読譜を学び、独学でピアノを習得。高校卒業と同時に関西でライブ活動を開始、プロのミュージシャンとなる。
55年に上京し「沢田駿吾とダブルビーツ」に在籍。57年からは名門「ウエストライナーズ」に在籍する。ピアニストとしての実力を高く評価されるとともに、アレンジャーとしても頭角を現し、ステージ、テレビなど幅広い分野で活動を始める。
75年からの「11PM」へのレギュラー出演で好評を博し、その後は「サウンド・イン・S」「ミュージック・フェア」など人気番組の音楽監督をはじめ、数多くのテレビ番組のテーマ、音楽を担当する。
81年に東京音楽祭「最優秀編曲賞」を受賞。83年にはレコード大賞「最優秀編曲賞」、また、ジャズ界の最高位に値する「南里文雄賞」を受賞する。
80年には日本最高のジャズプレイヤーを集めた「ウインドブレイカーズ」を、88年には佐藤允彦、羽田健太郎とともに「トリプルピアノ」を結成。ピアニストとしてのプレイはもとより、日本を代表する作・編曲家として、各界から高く評価されている。
「ウインドブレイカーズ」は、今年で結成24年目を迎えた。
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Keiko Lee  ケイコ・リー
ケイコ・リー 21才から独学でピアノを弾くようになり、名古屋のクラブでジャズやシャンソンの歌の伴奏を経験した後、ピアニストとしてプロになる。その後、徐々にシンガーへと転向。存在感のあるヴォーカル・スタイルとディープなヴォイスは評判を呼び、共演したミュージシャンからは「楽器と対等に渡り合える歌手」と注目を集め、「低音で深く胸に染み渡る歌声は、一度聴けばわすれることはない」等各紙で絶賛される。
その即興性と瞬発力にすぐれたパフォーマンスの評価は高い。
94年以降、東京にも進出。95年「イマジン」でアルバムデビュー以来、2001年7月、レギュラー・グループのケイコ・リー&ドキドキ・モンスターズでの初スタジオ・レコーディング・アルバム「愛の奇跡」まで9枚をリリース。
2002年5月スイングジャーナル誌主催の、日本ジャズメン読者人気投票女性ボーカル部門で、堂々6年連続の第1位に輝いた。
近年では香港・台湾・韓国ほかアジアでも人気を博し、セールスも好調。
2002年、日産ステージアのCMソング「We will rock you」の大ヒットを受け、幅広いファンを獲得し、同年2月に発売した人気男性デュオ・ケミストリーの堂珍とのデュエット「星たちの距離」の英語バージョンを含む、初のベストアルバム「ヴォイセス」は15万枚を越えるヒット作となった。
人気・実力ともNo.1ジャズヴォーカリストとして国内外で大変な人気を獲得している。2002年10月23日、ニューアルバム「ケイコ・リー・シングス・スーパースタンダード」を発表。
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Naoko Terai 寺井尚子
寺井 尚子
Photo by Kunihiro Takuma
4歳よりヴァイオリンを始め、1986年にプロ・デビュー。
1995年 ケニー・バロンとの共演をきっかけに、彼のアルバムにゲストとして招かれ、ニューヨークで初レコーディング。1998年 初リーダー・アルバム「Thinking of You」発表。 1999年 2ndアルバム「PURE MOMENT」発表。スイングジャーナル誌人気投票「MISC.INSTRUMETNS(その他の楽器部門)」第1位。(以降、現在まで4年連続第1位)
2000年関西フィルハーモニーのニュー・イヤー・コンサートにソリストとして客演。
マキシ・シングル「Rhapsody In Blue」発表。リー・リトナーのプロデュースによる3rdアルバム「Princess T」発表。初のライヴ・アルバム「LIVE」発表。
スイングジャーナル誌主催ジャズ・ディスク大賞「ニュー・スター賞」受賞。
平成12年文化庁芸術祭テレビ部門 優秀賞受賞作品 NHKドラマ「袖振り合うも」音楽監督担当。
2001年 リシャール・ガリアーノをゲストに迎え、初のセルフ・プロデュースによる5thアルバム「All For You」発表。アルバム発売をはさみ、"寺井尚子All For Youツアー2001〜2002"を全国8か所で展開。
2002年リシャール・ガリアーノの「ジャンゴ・ドール」受賞記念コンサートに招かれ、フランス・レマンで再度共演。また、「東京JAZZ 2002」のオープンニング・アクトとして出演。その演奏を聴いたハービー・ハンコックの要請で、マイケル・ブレッカー、ウェイン・ショーターら錚々たるメンバーによる"SUPER UNIT"に唯一の日本人アーティストとして特別参加。レコード会社を東芝EMIに移籍。
2003年 2月14日 待望のオリジナル・ニュー・アルバム「アンセム」リリース。
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Takashi Matsunaga 松永貴志
松永貴志 兵庫県芦屋市出身。
幼い頃より父親の影響でジャズの流れる家庭で育つ。
5歳でオルガンを独学ではじめ、10歳の時コンテストでグランプリを受賞、オリジナルCD「スペイン」を発表する。
11歳より、関西の名門バンド「アロージャズオーケストラ(AJO)」のリーダー・北野タダオ氏に師事、13歳の時ジャズ界の巨匠・ハンクジョーンズ氏に「ずば抜けた演奏」と絶賛される。
高校1年生(平成13年/15歳)の夏休み芦屋ルナホールに於いて、AJOをバックに我が国を代表するジャズクラリネットプレーヤー・北村英治をゲストに迎え、〜G.ガーシュウィンに捧ぐ〜と題し「ラプソディーインブルー」などのプログラムによる、「プロデビューリサイタル」を開催、プロミュージシャンとしての演奏活動を本格的に開始する。
平成14年3月テレビ東京「ビートたけしの誰でもピカソ」に出演、一躍注目を集めCDメジャーデビューが決定、平成15年5月28日(17歳)東芝EMIより「TAKASHI」が発表され、21世紀を担うジャズミュージシャンとして、注目を集めている。
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