
ロス・バン・バン(Los Van Van)
1969年にフアン・フォルメルによって結成された『ロス・バン・バン』はラテン音楽バンドの王者として世界にも名をとどろかせている。ディレクター兼ベーシストであるフアン・フォルメルは、ロック・ラップ・ブラジル音楽・メレンゲに彼ならではのテイストを加え、シンセサイザーを導入しつつ新たなキューバンリズム『ソンゴ』を確立。
革命後、キューバは旧ソビエトの方針を取り入れ幼い子どもの能力育成に努めた。その中に音楽の才能育成も含まれ音楽学校を提供しつつ幼いうちから訓練した。一方、大人サイドではいち早くアメリカンミュージックを聴き始め、60年代から70年代初めのジャズやロック、R&Bの真新しい創造エネルギーを取り入れた。その中でもキューバのミュージシャンにとってもっとも重要なこと、またキューバ音楽の歴史において最も重要な人物はフアン・フォルメルに他ならなかった。彼は後にLos Van Vanを結成することになる他のメンバーとともにバンドOrquesta Revéの音楽ディレクターとして活動していた。1969年にLos Van Van結成後、今日にいたるまでの30年を経てもこのバンドはキューバ国内での人気はもちろん、世界的ラテンダンスグループとして、また彼らが生み出した『ソンゴ』の先駆者として君臨し続けている。Los Van Vanは単なる演奏の上手いバンドではなく、ベーシストであり創設者フアン・フォルメルの多才稀なるダンスビートの作曲・アレンジ他、時折生み出すバラードの魅力につきるといえる。
メンバー紹介:
- フアン・フォルメル
- <ベース、ボーカル>
- サムエル・フォルメル
- <ドラム>
- マリオ・リベラ“マイート”
- <ボーカル>
- アブデル・ラサルプス“レレ”
- <ボーカル>
- ジェニセル・バルデス“ジェニー”
- <ボーカル>
- ロベルト・エルナンデス“グアヤカン”
- <ボーカル>
- マヌエル・ラバレラ
- <コンガ>
- フリオ・ノロニャ
- <グィロ>
- アルバロ・コジャド
- <トロンボーン>
- ホルヘ・リエブレ
- <フルート&コーラス>
- エドムンド・ピナ“ムンド”
- <トロンボーン>
- イルヴィング・フロンテラ
- <ヴァイオリン>
- ウゴ・モレホン
- <トロンボーン、シンセ、オルガン>
- ボリス・ルナ
- <ピアノ>
- ペドロ・ファハルド
- <バイオリン>
- パベル・モリナ
- <ベース>
経歴:
- 60年代
- 多才稀なるフアン・フォルメルによるバンド結成、およびバンドリーダーとしての経験は後の『ロス・バン・バン』の成功につながる基盤となった。最初のバンド結成時、彼は the Orquesta del Instituto Cubano de Radio やテレビ番組などから多くのジャズやキューババンドにいたるまで様々なアンサンブルにおいてダブルベースを担当した。これら全ての経験が彼の未来を形づけるものとなった。フォルメルはバンドOrquesta Revéの活動の中で彼独自のスタイルへの探求という重要なポイントに差し掛かった。彼は様々な試みを始める一方、ベースやオルガネタ、エレキギターやバイオリンなど他の楽器を置くなどし、オーケストラ音楽の性質自体も作り変えた。また、ボーカルも4名で構成するなど新しい形を生み出した。こうして『ロス・バン・バン』はポピュラーダンスミュージックの基礎を作り上げるにいたった。
- 70年代
- 70年代初め、多くの評論家たちは『ロス・バン・バン』の将来を有望視していた。 最初のバンドLa Orquesta Revé に貢献する傍ら、フアン・フォルメルはパーカッションを導入することにより、後に『ソンゴ』と定義されることとなるユニークな音楽を作り上げバンドの構成を豊かにした。ジャズやロックの要素からキューバのソンにアプローチするこの特別なスタイルはピアノとベースが混ざり合い作り出すリズミカルデザインから構成された。そしてこれらが異なるハーモニーとメロディー的なトーンを作り出だした。 ホセ・ルイス・キンターナ(チャンギート)、ラウル・カルデナス(エル・ユーロ)、セサル・ペドロソ(プピ)、フェルナンド・レイバ、ルイス・リナレス、オルランド・カント、ホセ・ルイス・コルテス(エル トスコ)、フリオ・ノロニャ、ヘラルド・ミロ、ウィリアム・サンチェス、ホセ・ルイス・マルティネス、ミゲル・ラサルプス(エル レレ)はディレクターであるフアン・フォルメルと共にすべての可能なリズムのコンビネーションを探求し、ついに『ロス・バン・バン』の基盤となる固有のリズムを作り上げた。それから数年の内に最初の5枚のアルバムをレコーディングし、世界のステージへと進出し始めた。
- 80年代
- この10年間はバンドにとって重要な時期となる。彼ら自身のスタイルの殻を壊し、深く低音の響くトロンボーンを起用した。それと同時に彼らは複数の音の可能性があるシンセサイザーとキーボードを導入した。 シンセサイザーのサクソフォーンとエレキバイオリンの起用はその当時において驚くべきものだった。彼らの曲目には大ヒットした“Báilalo eh! Ah!”(1982)、“Anda, ven y muévete”(1984)、“La Habana sí”(1985)、“Eso que anda ”(1986)、“Nosotros los del Caribe”(1987)、Se acabó el querer (1988)の他、Songo(1988)がある。また同時にそれらは新しい音楽の可能性をも見出すものだった。バンドの特性の1つは歌詞における一般社会へ対する悪漢、皮肉と言ったものを織り交ぜていることである。それは社会事情に加え日常のユーモアを交えたもので、まるで現代キューバの短い年代記を見ているようである。これらの数年間、『ロス・バン・バン』の音楽はラテンアメリカを抜け出し、英国、オーストリア・ベニス、スイスやドイツといった世界各国まで行き渡り、疑い深いリスナーまでも彼らの音楽に合わせてダンスへ引き込みほどの影響力をみせた。
- 90年代
- 『ロス・バン・バン』の20周年記念を祝いつつキューバ全土を駆け巡るツアーで90年代は幕あけた。そしてバンドは現代のトーンに向かって発展し、より複雑で詳細な音楽表現を捜し求めた。『ロス・バン・バン』の近年成果を見る限りバンドの成熟度は明らかである。1993年のアルバム『Azúcar』から“Que le den candela”や“Ese es mi problema”、1994年のアルバム『Lo último en vivo』から“Soy normal, natural”や“Qué sorpresa”、1995年のアルバム『Ay dios ampárame』から“Deja la ira”や“De igual a igual”、1997年のアルバム『Te pone la cabeza mala』から“Esto te pone la cabeza mala”や“Llévala a tu vacilón”などの大ヒット曲の内のいくつか1999年のアルバム『Llegó Van Van』に再収録された。このアルバムには“Permiso que llegó Van Van”、“El negro está cocinando”や“Temba tumba timba”などの曲目も含まれ、彼らの影響力あるリズムと楽しみのセンスにより大きな成功を収めた。他のオーケストラの要素も取り入れることもあるが、彼らの音楽には常にバンド独自のセンスが保たれている。
- 2000年には、アルバム『Llegó Van Van』がラテングラミー賞ベストサルサパフォーマンス部門受賞。これは『ロス・バン・バン』の存在を確固たるもとするとともに30年以上もの彼らの精力的な音楽活動への賛辞ともいえるだろう。
受賞経歴:
- 1976年
- Barranquisimanto町から表彰される
- 1988年
- エクアドル・キート市より勲章受章
- 1989年
- 人気賞受賞
- 1990年
- 第一回ソン国際フェスティバルにおいて受賞
- 1994年
- コロンビアバランキージャカーニバルのおけるサルサバンドフェスティバルにおいてトロフィー受賞
- 1994年
- アルバム“25 años de Juan Formell y Los Van Van”が50万部を突破
- 1994年
- 100万枚の売り上げを誇ったアルバム“Lo último en vivo”がトロフィー受賞
- 1995年
- アルバム“Ay Dios Ampárame” が200万部の突破
- 1997年
- ニューヨークラテンエンターテイメントアソシエーションのバラエティー部門において特別賞を受賞
- 1997年
- プエルトリコ市民賞受賞
- 1997年
- カロライナ州ロサンジェルスのキューバコミュニティーより功労賞受賞
- 2000年
- アルバム“Llegó Van Van: Van Van is here”がラテングラミー賞ベストサルサパフォーマンス部門受賞
