PERFORMING ARTISTS アーティスト紹介

チャリート・ラテンジャズファンク・バンド

チャリート (vo)

チャリートチャリートがジャズを歌い出してかれこれ20年になる。はじめはサラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、ダイナ・ワシントン、カーメン・マクレエといった偉大なヴォーカリストを熱心に聴いたが、その中でチャリートの心を強くとらえたのは一番暖かな感じがしたサラだった。飾り気がなくて自然に歌っている、それでいて格好いい、そういうサラ・ヴォーンにチャリートは大きな影響を受けた。

「ある時、最初のCDをリリースする前のこと、六本木の『ボディ&ソウル』で山本剛さんの伴奏で歌っている時に、たまたま来日していたサラ・ヴォーンがひょっこり遊びに来て、客席で私の歌を聴いていたんですね。はじめは私は気がつかなかったの。そしたら誰かが、『サラが来ている』というのでびっくりしたんです。それで、とても光栄なことですから『いま客席に偉大なサラ・ヴォーンが来ています』って紹介したら、何とサラが立上がって、そのままステージに登ってきちゃったんです。私はもう心臓がどきどきしちゃって、どうしていいか分らなかったんですけど、サラが、『一曲一緒に歌いましょう』といって<オン・ア・クリアー・デイ>を歌ってくれたんです。私はもう喉がからからに乾いちゃって声も出ない状態だったけど、この時はものすごく感激しました。すごく幸せな経験でした。」

この他チャリートの歌を聴いて、「あのナンシー・ウィルソンも"The first time I heard Charito, I physically and emotionally embraced her, and thought myself BEAUTIFUL, that came from the heart and soul"って言って、すごく誉めて下さったんです。偉大な先輩から音楽に対する大きな愛を貰って、私はいつまでも勉強しながらひととこに留まらないで前進し続けようという気持ちにさせられたんです。」とチャリートは語る。

チャリートの印象的で力強い声は、その歌唱力でスタンダードジャズからアップビートでファンクな曲まで音楽のジャンルも広がり、きびきびしたその歌い方は、幅広い層の人々の心をがっちりつかんでいる。

ステージでの彼女の感情のこもった歌唱とその豊かな表現力が、聴衆に深い共鳴を与えているのである。評論家、音楽家、聴衆から、力強い才能あるアーティストとして喝采を浴び、ジャズ界ではすでに確固たる地位を築いており、もちろん海外でもその名は知られている。現在、9枚のアルバムをリリースしているが、アメリカとカナダでレコーディングされたものが多い。

1990年に最初のアルバム『This Girl』が「ニッポン・クラウン '91」で初めて世に出た後、チャリートは歌手として脚光を浴び始めた。外国人歌手でニッポン・クラウンから出たアーティストは、彼女が初めてであった。これをきっかけに、様々な活動の場が広がり、続いてリリースしたアルバムはどれも順調に売り上げを伸ばして来た。

ハリー・ホイトカー、アレックス・ブレイク、ワレス・ルーニーのような有名な一流ミュージシャン達との『Swing My Way』の制作、モーリス・ホワイト(アース・ウインド・&ファイア)とのデュエット、『Shades of Love』での日野晧正との共演、『Love of My Life』でのコーネル・デュプリー、バディー・ウイリアムズ、デイビッド・エスピノッツァとの共演といった経験は、彼女の仕事に格とともに広がりと深みを与え、今日の音楽界での地位を築き上げる原動力となった。

アーティストとして自分を語るとき、出身の「民族」を匿すことはない。アルバムの中には、フィリピン出身であるという自分のルーツを胸に秘め、有名なフィリピンのラブソングを二つ入れている。音楽を通じて、母国のより良いイメージを印象づけ、常に母国に対する文化的関心を高めようと努めている。彼女のその努力に対し、フィリピンの日本における旅行部門の宣伝活動を支援してきたことが認められ、「親善大使」の称号も与えられている。

『Forever More』では、チャリートはもう一度、その才能の新たな面を見せてくれた。このアルバムは、ニューヨークの若く才能のあるミュージシャン達と一緒にプロデュースしたものである。旋律の豊かな声とカリスマ性、否定しようのない存在感で音楽を作りあげている。その比類ない歌声で唄うリズム・アンド・ブルースやソウルの官能的なリズムも楽しめる。強く、美しく、異次元を旅しているかのようである。

この才能あふれるアーティストは、1995年のアメリカのシカゴ、ニューヨーク、カナダのオタワ、トロント、モントリオールを回るツアーで、日野晧正と共演し、「Asian Jazz All Stars」のボーカリストとして、北アメリカの音楽ファンをも魅了した。

1996年には韓国、上海、香港、シンガポール、マレーシア、タイ、台湾を回り、最後に横浜で開かれた「Mt. Fuji Jazz Festival」でそのツアー公演の完成を見た。また7月の「Montreal Jazz Festival」では、チャリートは7万人の聴衆を前に歌った。彼女のアルバム、『Forever More』は、カナダとアメリカでリリースされ、世界ランクの歌手であることを示した。

1997年のカナダ・ツアーには「Lost Chart Ensemble」のメンバーとして参加し、6月の「Montreal Jazz Festival」には2回目の出演を果たした。この頃新しいアルバムも2枚、レコーディングした。そのうちの1枚は、スタンダード・ナンバーを集めた『A Time For Love』で、アメリカ、カナダでは1998年6月、日本では1998年7月にリリースされた。

1998年11月には、「Beijing Jazz Festival」に出演したが、「Lost Chart Ensemble」のスターボーカリストとして、中国の主要都市(北京、上海、成都、大連)を回るツアーを行った。その後、このグループは、プロモーション・ツアーの一部として、東京で、多くの有名なクラブでショーを行ってもいる。

次に発表されたアルバム『To The Beat Of Your Heart』は、すべてジュディス・ヘンダーソンとアンドレ・ゲイ作曲のオリジナル曲で、1999年3月25日にクラウンレコードからリースされた。

1999年9月、マレーシア、クアラルンプールのデワン・フィルハーモニック・ペトロナスで、「ASIANA」と共演した。ASIANAは、ジェレミー・モンテイロ率いる、アジア人のミュージシャンが集まりジャズを演奏するグループである。アジアの色々なエスニックな楽器の音を組み合わせ、様々な要素を混ぜ合わせて、即興のジャズハーモニーを演奏するのである。

クラシック音楽の弦楽四重奏グループ「Tokyo Y's Club String Quartet Ensemble」でもゲストとして歌い、レコーディングを行ったが、これは「Tokyo Y's」という名のアルバムとして、11月11日にクラウンレコードからリリースされた。このユニークで美しいコラボレーションは意味深いコンサートの流れを作った。

2000年は日本以外での活動が際立った。日野晧正により結成された著名なジャズ・ミュージシャン達のグループ、「World Jazz All Stars」のボーカリストとして、韓国ソウルに新しくオープンしたばかりのLGアートセンターの幕開け公演を行い、ワークショップにも参加した。また7月には、シルベイン・ガニョン及びカナダの一流ジャズミュージシャン達と共に「Jazz From Around The World」という国際的なプロジェクトを立ち上げたが、これは日本国内の様々な都市で続けてコンサートを行うもので、東京のカナダ大使館劇場でも特別演奏会を催している。

2003年ニューヨークにてマルグリュー・ミラー(p)、ロニー・プラキシコ(b)、ジェレミー・ペルト(tp)、ルイス・ナッシュ(ds)らと共に大石学(p)をミュージックディレクターに迎え、8枚目のアルバム『They Say It's Wonderful』を録音。また「くっちゃんジャズフェスティバル2003」を始めとし、全国の多くのジャズフェスティバルにも出演。また併せて上海、ホノルル等海外のライブハウスでも活躍。同時にNHK「セッション505」にも出演、高い評価を得る。またこの年はビッグバンドとの共演を復活させ名古屋ブルーノート等各地でライブを行なった。

2004年1月にはブラジル・サンパウロで、ついに念願のイヴァン・リンスを迎え、ブラジルの一流ミュージシャン達と『Non-Stop to Brazil  ̄Charito meets Ivan Lins ̄』を録音。7月に9枚目のアルバムとして発表したが「スイングジャーナル」誌選定ゴールドディスクに選ばれた。このアルバムは本来のジャズ、ボサノバ、MPBファン以外の新しいファン層からも厚く支持され、セールス的にも成功を収めている。

2005年1月『Non-Stop to Brazil  ̄Charito meets Ivan Lins ̄』がスイングジャーナル主催第38回(2004年度)ジャズディスク大賞ボーカル賞(国内部門)を受賞。
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