ブラジル新世代のミューズが選りすぐった今度のゲストはボサノヴァ誕生の瞬間を知るリヴィング・レジェンド
ボサノヴァ第二世代のミューズ、ジョイスが、またも素晴らしいスペシャル・ゲストを連れてくる。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンらと共に、ボサノヴァ創生の要となったブラジルの才人ロベルト・メネスカルだ。「小舟」「二人と海」「リオ」など素朴な名曲を書く一方、ギターはジャズ・ギタリストもびっくりの腕前。プロデューサーズ・チェアに座れば、ナラ・レオンやレイラ・ピニェイロなどの歌姫たちをきらきらと輝かせ、最近はワンダ・サーとのユニットでもその道の通人らしい美技を繰り広げてきた。その世界に胸ときめかせ、新時代のオーセンティックを切り開いてきたジョイス。このふたりによるガイド・マップなら、ボサノヴァのスウィート・スポットが一発で分かる。
ジョイスはブラジルのリオ・デ・ジャネイロ生まれ。「ボサノヴァ第二世代、ポスト・ボサノヴァ世代のミューズ」と呼ばれる、ブラジルを代表するシンガー&ソングライター。1967年リオの国際歌謡祭でデビュー。'68年に初リーダー作『Joyce』を、翌'69年に第2作『Encontro Marcado』(共にPhilips)を発表後、'70年代前半に結婚すると5年間舞台を離れるが、'70年代中盤から第一線に復帰。アルゼンチン、ウルグアイ、ヨーロッパをツアーする精力的な演奏活動を行なった。
'79年に、ブラジルの名歌手故エリス・レジーナが、ジョイスの書いた「或る女」を歌いヒットしたことで、ソングライターとしても脚光を浴びる。
'80年代には、アントニオ・カルロス・ジョビンのヒット・ソング集や、ヴィニシウス・ヂ・モラエス作品集などの意欲的作品を発表。
'90年代に入るとアメリカのフュージョン・レーベル、ヴァーヴ・フォアキャストから『ミュージック・インサイド』や『ランゲージ・アンド・ラヴ』(共にユニバーサル ミュージック)などのジャズ・フュージョン・タイプのアルバムを出す一方で、欧米のクラブにも出演し絶賛を集めた。中でも、ブラジル音楽ブームが燃えさかるロンドンでは牽引車的存在に。さらに、5ヵ国語に堪能な異才で、ヨーロッパ諸国にも鮮やかな足跡を刻み、'94年に音楽生活25周年を迎えた。記念作品『友と再び』(東芝EMI)には、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、ワンダ・サーらの郷友が参加。これで波に乗ると、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた『イーリャ・ブラジル』を'96年に発表。続く'98年の『宇宙飛行士』(共にオーマガトキ)では、ドリ・カイミのほかジョー・ロヴァーノやマルグリュー・ミラーら実力派ジャズ・ミュージシャンをバックにエリス・レジーナゆかりの佳曲を取り上げ、第二世代ならではのオーセンティックを開拓してきた。
また、'91年にブルーノート東京に初出演して以来、自身の音楽を打ち出す一方で母国の誇るスターを紹介するナヴィゲイターとしても尽力。そこで'03年になると郷友たちとコラボレイトした『ボッサ・デュエッツ』(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル)をリリース。その間に、長女クララ・モレーノと次女アナ・マルティンスの押し出しにも熱を上げてきた。
最新作は、ジョイスとドリ・カイミが初めてサンパウロで本格的に向き合ったフル・アルバム『リオ-バイーア』(ビクターエンタテインメント)で、ふたりの厚い創意が通い合ったマスターピース。ロンドン・クラブ・シーンとの近年のコネクションは、ファー・アウト・レーベルの音源を精選したベスト・アルバム『ヴィヴァ! ジョイス・ザ・ファイネスト・コレクション』(コロムビアミュージックエンタテインメント)で聴ける。来日するのは、'05年7月のドリ・カイミとの公演以来約1年ぶり。
ギタリスト、作編曲家、プロデューサーのロベルト・メネスカルは、1937年10月25日、リオ・デ・ジャネイロ州とバイーア州に挟まれたエスピリート州のヴィトーリアで、エンジニアと建築士の家系に生まれた。両親の心配をよそに幼い頃から楽器に親しみ、ナイロン弦ギター、ピアノ、アコーディオンなどを演奏。次に、ハーモニーや作編曲のレッスンを受け、バーニー・ケッセルらアメリカのジャズ・ギタリストにも傾倒。高校でカルロス・リラと出会うと、ふたりでギター教室をスタート。早々に駆けつけてきた生徒のひとりにはナラ・レオンが、そのレオンを中心にした輪に入ってきた若者には、やがてメネスカルと名コンビとなるロナルド・ボスコリらがいた。
'57年半ば頃、そこに独創的スタイルを確立しつつあったジョアン・ジルベルトが現れる。清新なギターと歌に感動したメネスカルは、ジョアンの介添え役になって可能性を探り、自らのプレイ・スタイルを錬磨していった。さらに、アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・モラエスらの知遇も得て、ボサノヴァ創生の中心円で才能を発揮していく。
'60年代に入ってボサノヴァ・ブームが起こると、エウミール・デオダートらの若手と活動し、'62年はN.Y.のカーネギー・ホールで行なわれたボサノヴァ・フェスティヴァルに参加。'63年にインストゥルメンタルによる『A Bossa Nova』(Universal)を出した後、ギタリスト兼アレンジャーとしての活動にはずみをつけた。
'70年代に入ると多彩な仕事ぶりが買われ、ポリグラム・レコードのスタッフに就任。'86年まで約15年間、プロデューサー、アート・ディレクターとして、ブラジル音楽の開発に専念。'84年にナラ・レオンとアルバム制作したのを機に演奏活動に戻ると、ふたりのデュオ・アルバム『Um Cantinho E Um Violao』(Polygram)がヒット。これでボサノヴァ・リヴァイヴァルの先頭に立ち、レイラ・ピニェイロら逸材のメジャー・デビューに手を貸すなど、頭脳派の粋人らしい仕事で第一線に返り咲いた。
'90年代はワンダ・サーとのユニットを始め、ボサノヴァ誕生40年の節目になった'98年には日本向けの『エストラーダ・トキオ・リオ』(エイベックス・トラックス)をリリース。日本贔屓が高じて、禅をテーマにしたアルバムも作るなど話題に事欠かないできた。最新作は、ワンダ・サーとの『スウィンゲイラ』(コロムビアミュージックエンタテインメント)。企画作品には、エクゼクティヴ・プロデューサーを務めるジーコ・レーベルから出した、息子さんのマルシオ、娘さんのマルセラとの『ジーコに捧ぐ〜ブラジルからのメッセージ』(ポニーキャニオン)がある。
以上でタイトルが英字表記のアルバムは海外盤。